現代はとても忙しい時代だと言われています。
ここ近年小さなコンピューターや携帯電話など、
少し前でしたら考えられないものが普及し、
かえってこうしたものが私たちの日常生活を
忙しくしているという見解もあります。
 このように便利でたくさんのものがあるだけに、
かえって見えなくなってしまっているものがあります。
それは私たちを超える存在です。
ただ大きな災害や人生の壁にぶつかった時、
自分の力ではどうすることも出来ないことを感じます。
だからこそ、私たちはいざという時だけでなく、
普段からしっかりと見つめるべきものを見つめておくことが大切です。
 でも目に見えないものが本当に存在するのかどうか、
どうしても疑いたくなるものです。だからこそ、
本来その姿の見えない神様が人の姿イエス・キリストとして現われ、
人間のレベルでしっかりと神が、救いが、
希望がわかるようにしてくださったのです。
聖書を通してイエス様の語られる言葉や行動に触れることによって、
ここにこそ私たちが心で探すものがあることを発見していきましょう。

梅雨に入りますと、天候と湿度でまいってしまいそうになりますが、
季節に関わりなく、私たちにはまいってしまいそうに
なることがあります。
それはだれかと自分を比べる時です。
相手が優秀であればあるほど、こちらが駄目なことを
感じてしまいます。
人と比べる、これは競争社会の中で生きている私たちには
どうしてもつきまとってきます。
 けれども、果たして人と比べて優れていたら良い人、
劣っていたら駄目な人なのでしょうか。
イエス様の弟子の一人であるペトロは、やがて捕らえられ、
行きたくない所に連れて行かれるといわれました。
でも、イエス様のことを語って捕まるのですから、
喜んでと言う思いでした。
ところが、ちょっと横を見ますと別の弟子がいましたので、
この人はどうなるのでしょうかと聞きました。
どうしても気になったのでしょう。
 でもイエス様は、この人とあなたとどんな関係がありますかと
言われ、どうなるかを教えてくれませんでした。
それは一人一人の人生は違うのであり、
あなたはあなたの道をしっかり生きていけば
それで充分だと言うことです。
つまり、人と比較して自分を評価したり、
生き方を決めたりする必要はない、
あなたはあなただというメッセージです。
それだけ私たち一人一人は尊い存在であり、神の愛の対象なのです。

御心に適う

 キリスト教独特の言葉の一つとして「御心(みこころ)」があります。
そしてこの御心に適う生き方を目指そうとします。
これは神様の教えに従って、
聖書の教えに則ってといってもよいでしょう。
 ところが、それはそう簡単なことではありません。
私たちが聖書を読んだ時、果たしてなるほどそのとおりだ、
素晴らしいと読み続けることが出来るでしょうか。
むしろこの言葉はきついな、
このようなことを言われても今の時代には通用しないなどと、
こちらの思いと合わずに退けようとすることはないでしょうか。
 これこそ、私たちが御心に適っていない、
御心と正反対の罪の姿です。
これはとても私たちの力で解決出来るものではありません。
自分で駄目であるならば、あとは他の方にお願いするしかありません。
そしてお願いするとするならば、
御心をしっかりと行う方でなければなりません。
 この方こそ、「わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行う」
と言われているイエス・キリストです。
イエス様の生涯はまさにこの御心を貫くものであり、
私たちが御心に適うことが出来ないからこそ行ってくださり、
この私に従ってきなさいと、今日も招いてくださっているのです。

神と等しい者

人間は感情の動物と言われ、
絶えず喜んだり、悲しんだりと心が揺れ動きます。
その中でも大きなエネルギーとなって外へ出てしまうのが、
怒りではないでしょうか。
その最も典型的な例がイエス・キリストの十字架です。
なぜ、人々の怒りを買ったのかといえば、
イエス・キリストが自分のことを神と等しい者、
神そのものであると言われたからです。
聖書の舞台となったところで神は唯一、絶対的な存在であり、
人とは全く違う無限、永遠なるお方です。
そのような神が限られた人間として現れたこと、
しかも、自分でそうだと触れ回ることなどは
決して許されないことだったのです。
しかし、この感情こそ、人間の罪の根深さを表しているものです。
イエス・キリストが現れたのは、何より神の側の謙遜さから出たものです。
そして、ただ現れただけでなく、人間の心の奥深くにある罪を
深くえぐり出しましたので怒りが爆発しました。
だからこそ、イエス・キリストがその怒りをしっかりと担い、
十字架におかかりになったということは、
本当に私たちを生かすためだったのです。
怒りに支配されたところから解放され、
一人一人に与えられた豊かな感情を表現していってもらいたい。
そのために神と等しい者があなたのためにも現れてくださったのです。

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