今日、日本では比較的簡単に神の御言葉に触れることが
出来るようになりました。
大きな本屋さんには必ずといってよいほど聖書が置いてありますし、
テープやCD,パソコンなどによっても接することが出来ます。
 ところが、御言葉を聞いた人が全員信じるわけではありません。
それはイエス様の時代であってもそうでした。
その様な状況の中で、イエス様は御言葉を聞いて、
実を結ぶことを教えられました。
それこそ、神様の御言葉に対して求められる私たちの態度です。
 「実を結ぶ」と言っても、何か特別な成果がなければ
駄目だと言うのではありません。
私たちが毎日の生活の中で御言葉に触れ、覚え、
少しずつ変えられていくなら、
それこそ「実を結んでいる」証拠です。
 「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、
あるものは百倍、あるものは六十倍、
あるものは三十倍の実を結ぶのである。」(マタイ13:23)

「光の力」

 今では一晩中外の電気がついていたり、お店が営業していたりして、
真夜中でも真っ暗にならない場所も珍しくありません。
それだけに、いつも光っている電気が突然停電になってしまいますと、
とても大きな恐怖に包まれてしまいます。
 このように、光の力は絶大です。その光を使って、
聖書は「あなたの御言葉は、わたしの道の光、
わたしの歩みを照らす灯。」(詩119:105)と言っています。
この「あなた」とは聖書の本当の著者である神様で、
この方に愛され、守られている者が、
「わたし」としてこのように語っています。
 私たちが真っ暗闇の中、きちんと歩くことが出来るとしたら、
それはしっかりと足元が照らされ、
進むべき方向が確かにされているからでしょう。
もしそうでなければ、たちまち誤った方向に進んでしまいます。
確かに私たちは暗闇の中を歩いているとは感じないかもしれません。
でもそれは感じないほどに暗闇と言う
神様のお考えを離れた罪の世界が
当たり前になってしまっているからです。
でもこれは相応しいことではありません。
 そこで神様はそれを良しとしないで、しっかりと道を照らすために
聖書によって私たちに語りかけてくださっています。
その語りかけを聖書から受け取っていただき、
その言葉を日ごとに蓄えていただきたいと願っています。
 三度の食事よりも読書が好き、手紙を一通書くのは朝飯前など、
食事を引き合いにして生活を語るとこは良くあります。また、
テレビドラマでも食事のシーンは結構多いのではないでしょうか。
それだけ、食事は私たちにとっては身近なもの、
いや、欠かすことが出来ないものです。
 また、食事は一人でじっくりと味わうことも良いことですが、
誰かと共にいただくと喜びが増すものです。
聖書の一番最後にあるヨハネの黙示録の中で、
イエス・キリストはこのようにおっしゃっています。
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。
だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、
わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、
わたしと共に食事をするであろう。」(3:20)
 このように、イエス・キリストは
私たち一人一人の心の扉を叩いて、中に入りたいと願っています。
そして食事と言われるように、
親しい関係を築きたいと言うのです。それだけ、
ご自身のことを私たちに知って欲しいと願っておられるからです。
 その心を叩く音こそ、聖書の言葉です。
私たちが聖書の言葉に耳を傾け、それにお応えしていく、
これこそ、イエス様が願っておられる食事をすることであり、
その時、私たちは、私たちを生かす本当に必要なものを
得ることができるのです。

「命の水」

 去る5月4日は、去年までは単に「国民の休日」と
言われていましたが、今年から「みどりの日」となりました。
まさに緑豊かなこの時期にぴったりな言葉として
次の言葉を送ります。
「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、
魂を生き返らせてくださる。」
 これは詩編23編と言う、
これまで多くの人々に愛されてきた聖書の言葉の一部です。
聖書の書かれたパレスチナ地方は、
水がとても貴重品で、この水があるからこそ青草も茂ります。
もし水がなければたちまち枯れてしまいますので、
文字通り「命の水」です。
 聖書によって私たちに語りかけてくださる主なる神様は、
私たちにこの命の水を与え、休ませ、憩わせ、
魂を生き返らせてくださる方です。しかも、
そのことを言葉で語られるだけでなく、ご自身が人となられ、
その存在の確かさを人の目にもはっきりと現してくださった
イエス・キリスト、その方です。
 イエス様はご自身の命をかけて、
神から離れてしまって罪の中にある者の魂を休ませ、
憩わせ、生き返らせてくださいました。
そして私たちが、それこそ私のためであったと信じることによって、
全世界に語られた約束があなたのものとなるのです。
この命の水によって、
まことの憩いの中にあって欲しいと願っています。

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