日毎に夕暮れが早まっていますが、
この時期は一年の中でも最も日中の時間が短く、
街の照明も早々に付き始めます。
それだけに早くも飾られているクリスマスイルミネーションが
とても鮮やかです。
 このようにクリスマスには光が欠かせません。
なぜなら、クリスマスは光の到来だからです。
新約聖書のヨハネによる福音書1章で
「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」
と言っています。
でもどうでしょうか。
この光が来たといわれるクリスマスにおけるイエス・キリストの誕生、
これを人々は歓迎しませんでした。
同じところで聖書は
「光は暗闇の中で輝いている。」と言いつつも、
すぐその後で
「暗闇は光を理解しなかった。」となっています。
なぜなら、この光が私たちを照らす時、
私たちの闇である罪を示し、
見たくないものまで照らし出されてしまうからです。
だから理解しないのです。
 けれども、光だけが闇に打ち勝つことが出来るように、
この光なるお方だけが人の罪の力から解き放ち、
歩むべきまことの道を照らし出してくださいます。
この闇を光が照らしだすクリスマスの時期に、
私たちもこのイエス・キリストの光をいただいて、
素晴らしいクリスマスとなりますことを願っています。
 いよいよあと一月でクリスマス、
イエス・キリストの誕生をお祝いする日を迎えます。
このクリスマスの目的を、
聖書は次のように語っています。
「神が御子を遣わされたのは、世を裁くためではなく、
御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3:17)
 とかく神というと怖い方、裁く者というイメージがあります。
だからこそたたりを恐れて儀式が行われたりします。
しかし、御子イエス・キリストが来られたのは、
世が救われるためであって、
世を裁くためではないと、
わざわざ言われています。
それだけ、世を救うという神様の強い決意が込められています。
 ところが、神様は強い願いを持っていらっしゃっても、
世の側はどうだったでしょうか。
イエス様が誕生される時も、
普通の人間の出産よりも遥かに惨めな馬小屋で行われました。
そしてイエス様が世を救うために行動し語られたことを
受け入れませんでした。
そればかりか、最後には十字架にかけて殺してしまったのです。
けれどもそれで終わってしまったのではなく、
世を救うためにイエス様はその命をささげてくださったのです。
 ですからクリスマスは、
ただイエス様の誕生をお祝いするだけでなく、
その後の生涯が世を救うために命をかけられたことを
覚える日でもあるのです。
 信仰と言いますと、
「溺れる者はわらをもつかむ」とか
「苦しい時の神頼み」などと言われることがあります。
あまり良い響きはしませんが、
果たして何が頼りになるのでしょうか。
人様に頼るということは弱い者のすることだといって
自分だけが頼りの人、
何と言ってもお金だ、いや地位だ、
権力だなどと色々なものが出てきそうです。
しかし、絶対と言われていた土地神話も崩れ、
地位や肩書きもいつかはなくなってしまいます。
 とかく苦しい時に頼みたくなる神ですが、
人の考え出した神ではなく、生けるまことの神様は、
「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、
あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。」
(エレミヤ33:3)と言われています。
自分では頼りにならない、
地位やお金では当てにならないことを素直に認め、
目には見えませんが、
「わたしを呼べ。」とおっしゃる方を呼ぶ信仰は力強いものです。
なぜなら、
このお方だけがまだ私の知らない隠されたものを知っておられ、
私の叫びを聞き、答えてくださるからです。
 この大いなることを告げ知らせる方こそ、
私たちの苦しみや悲しみの時に揺らぐことのない土台となるのです。
 昔、アッシジのフランシスコという人が
当番で庭の草刈をしていた時のことです。
一緒に働いていた友だちが、
もし今晩イエス様が再び来られるとしたら
今から何をしますかと尋ねました。
これに対してフランシスコは、手を休めずに
「それまでにこの草を取り終わりたい」と答えたそうです。
 聖書が教える世の終わりは、今から二千年前に
天に帰られたイエス・キリストが再び来られる時です。
ただ、その日は私たちにはわりません。
でもわからないからと言って、
私たちがいつもびくびくしたり、
あるいは色々な説に振り回されたりしないように、
必要なことはちゃんと知らされています。
それはフランシスコの姿勢にあらわれていますように、
今、自分に与えられている使命を忠実に果たしていくことです。
 なぜ特別なことが必要ないかといえば、
再び来られるイエス様がそのようなことを求めておられないからです。
今自分が置かれている状況を
イエス様が与えてくださったものとしてとらえ、
全力を尽くすこと、
これこそ私たちの思い煩いを取り除き、
終末へ備える一番の手段なのです。

 | BLOG TOP |