旧約聖書に出てくるアブラハムは、ある時、
神様から「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。
大地の砂粒が数え切れないように、
あなたの子孫も数え切れないであろう。」と言われました。
けれども、その時にアブラハムは、もう75歳を超えていました。
そしてそれから10年たっても
一人として子どもは与えられませんでした。
そのような中で、ある日神様はアブラハムをテントから連れ出し、
「天を仰いで星を数えることができるなら、数えてみるがよい。
あなたの子孫はこのようになる。」と言われたのです。
 こうして神様は現実の生活の場からアブラハムを連れ出し、
天を見上げさせ、神様の素晴らしさを示そうとされました。
アブラハムはこの神様を信じました。
そしてやがて約束通り、
砂の粒のように、天の星のように与えられた子孫たちは、
アブラハムのことを「信仰の父」と呼んだのです。
 アブラハムはテントの中にいて現実ばかり見ていました。
しかし、神様はそこから出て、星を数えてみよと言われたのです。
もちろん、星の数を人間には数えることは出来ません。
壮大な宇宙を造られた神様だけが知っておられることです。
この天の神様に心を向ける時に、
見失っている大切なものを見ることが出来ます。
 「あなたの天を、あなたの指の業を、わたしは仰ぎます。
月も星も、配置なさったもの。
そのあなたが御心に留めてくださるとは人間とは何ものなのでしょう。」
(詩編8:4,5)
 「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、
その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
(ヨハネによる福音書7:38[口語訳聖書]
 イエス様は腹からと言われましたが、
これは心の奥底からとも言うことが出来ます。
果たして私たちの心の奥底には何があるのでしょうか。
 別の場面では、
「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、
人の中から出てくるものが、人を汚すのである。」
(マルコ7:15)と言われています。
つまり、私たちの腹、心の奥底をのぞいてみますと、
醜いもの、汚れたもので満ちているというのです。
人をねたんだり、高ぶったり、
悪いことを考えるのもこの腹から出た結果なのです。
ですから、この源をきよめることが出来たら、
私たちは大きくかわることが出来るでしょう。
 この変化は私たちの力によっては出来ません。
なぜなら、私たちの腹がすっかり罪と悪に染まっているからです。
そこで、イエス様は「わたしを信じる者は・・・生きた水が・・流れ出る」
と保証してくださっています。
こうしてイエス様を信じることによってのみ、
私たちの腹をきよめ、
心の奥底からかわることが出来るのです。
 「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。
永遠の命の言をもっているのはあなたです。」(ヨハネ6:68[口語訳])
 これはイエス・キリストの弟子の一人である
ペトロの語った力強い信仰の告白の言葉です。
残念ながらこのペトロはイエス様を裏切り、
いろいろな失敗や間違いもしてしまいました。
これがもし普通の人間同志の関係でしたら、
とっくにお互いの関係は壊れてしまうでしょう。
 しかし、イエス様はそうした弱さのあるペトロを大変愛されました。
そしてやがて彼を立派な弟子へと成長させました。
自分自身の弱さ、
足りなさを知りながらも、
私たちはそれを告白することは出来ません。
しかし、イエス・キリストの愛は、
私たちの欠けを遥かに上回る素晴らしいものです。
なぜなら、イエス様は私たちの心の一番深いところまで御存知であり、
私たちにとって本当に必要な慰めを
私たち以上に示してくださる方だからです。
 失敗しても間違ってもペトロがあきらめなかったように、
主よ、従いますという者は豊かな祝福をいただくことが出来るのです。
 まもなく、今ではほとんどの人が知っている
バレンタインデーを迎えます。
そのため、街のあちらこちらで
宣伝のポスターなどを見かけます。
 このバレンタインデーに付き物のようになっている
「愛」という言葉ですが、
そのイメージはどのようなものでしょうか。
聖書の中には次のようない一節があります。
 「神は、独り子を世にお遣わしになりました。
その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。
ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。(1ヨハネ4:9)
 愛は単なる感情の一つなのではなく、
神の独り子、イエス・キリストによってあらわされました。
しかも、
「わたしたちが生きるようになるため」と言われていますように、
私たちを変え、
まことの生き方へと導くものです。
 イエス様がこの世に来られたのは、
「愛」という言葉を教えるためではありません。
そうではなく
自らの命をかけて私たちを救い出してくださいました。
これこそまさに「愛」なのです。
イエス・キリストが来られ、
命を私たちのため、
いやこの私のために使っていいとしてくださったこと、
これこそ愛です。
 愛という言葉が氾濫しているこの頃、
愛の本当の意味を心に刻み込んでいきましょう。

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