生まれたての赤ちゃんは、
ミルクを飲んでどんどん大きくなっていきます。
でもこのミルクに汚いものが入っていたら、
赤ちゃんはすぐに病気になってしまいます。
ですからお母さんは綺麗に哺乳瓶を洗います。
 私たちは毎日いろいろなものを吸収して生きていきます。
飲み物、食べ物だけでなく、
本やテレビ、
あるいは人の話を聞くことによって多くのことを知っていきます。
もしこの外から入る情報が間違っていたり、
良くないものでしたら、
受けた人も段々誤っているものに染まってしまうでしょう。
 聖書では
「生れたばかりの乳飲み子のように、
混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。」
(1ペトロ2:2)と言われています。
これは私たちが生きていくためになくてはならないものです。
「混じりけのない霊の乳」、
これこそ神の言葉である聖書です。
この聖書が教会の礼拝で説き明かされ、
私たちはイエス・キリストと出合うことになるのです。
 しばらく前、便利なところに大きなお店ができました。
車や自転車でたくさんの人が駆けつけ、
建物の外にまで目玉商品を求めて並んでいました。
その中でも特に女性たちの関心の的になったのが、
大幅に割り引かれた宝石類だったようです。
きらきらと輝くダイヤモンドが
普通では考えられない値段で売られているのですから、
当然かもしれません。
素晴らしい輝きを安く自分のものにしたい、
これは誰にでもある願いではないでしょうか。
 しかし、どんなに輝き、素晴らしく見えても、
時が経つうちに感激が薄れ、飽きてしまうことがあります。
ましてや、
あとで大きく価値が下がったりしたら、
がっかりしてしまいます。
なんと人が求める輝きは空しいのでしょうか。
 しかし、決して値崩れのしないものがあります。
それがイエス・キリストの御言葉の輝きです。
聖書を読めば読むほど、
私たちは御言葉の輝きを感じ取ることができます。
なぜなら、
聖書はまことの光であるイエス様が私たちに生きる目的を教え、
本当に価値あるものとは何かを示しているからです。
この輝きを受けて、
今度は私たちがきらきらと輝いていくところに
私たちの素晴らしさがあります。
 「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」(詩編23:1)
 聖書では人間を羊に、
神様を羊飼いにたとえることがよくあります。
日本に住んでいる者には羊も羊飼いも馴染みが薄いものですが、
聖書の中では繰り返し述べられている大切な関係です。
 羊飼いは羊たちを散歩させる時は、
先頭に立って歩き、
まず自分が通ったところを羊たちにも歩かせます。
決して後ろから追い立てるのではなく、
私についてきなさいと導きます。
こうして羊飼いは、
羊たちを安全な場所へ連れて行って、
必要な食物や休息を与えます。
羊たちは自分の力で安全なところを見つけることが出来ませんので、
もしも羊を養う羊飼いがいなかったら、
その羊はとても可哀想です。
 神の子イエス・キリストは、
羊飼いとして信じる者を養ってくださるお方です。
私たち一人一人のことを心に留め、
導いてくださいます。
そのためにイエス様は十字架にかかり、
私たちの罪を赦してくださいました。
そして私についてきなさいと声をかけ、
確かなところへと連れて行ってくださいます。

「生命の水」

 太陽の光を浴び、地面から水分や養分を取って、
花は咲き、葉は繁っていきます。
ところが、
もし誰かがいたずらをして茎を途中で切ってしまったら、
花はどんどん枯れてしまいます。
それでも水分を欲しがりますので、
その切った花を黒インクの瓶にさしますと、
そのインクを吸って花は黒くなり、
やがて死んでしまいます。
 実は人間も同じです。
人は自分を造ってくださったまことの神様に背き、
神様から離れました。
ですから、
生きるために必要な養分を取ることができなくなってしまったのです。
でも何かに頼りたい、
拝みたいという心がありますので、
自分の手で像を造り、
拝むことになったのです。
本当に必要な水ではなく、
黒い、飲めば飲むほど滅んでいくインクを飲んでいるのと同じです。
 しかし、神様は私たちを再び生命の水を吸う者へと
変えてくださるチャンスを示されました。
それは神のひとり子なる主イエス・キリストを信じることです。
このイエス様こそが、
私たちにまことの生きるための水を与え続けてくださるのです。
 緑の美しい季節ですが、
このような時期に語られたのでしょうか。
イエス様は「空の鳥をよく見なさい。」、
「野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。」
と弟子たちに語りかけられました。
その時おっしゃりたかったのは、
「思い悩むな。」ということだったのです。
 「思い悩むな」と言われますと、
ますます思い悩んでしまうのが私たちです。
なぜなら、
私たちの内には本当の意味でしっかりとしたものがありませんので、
何を食べようか、何を着ようかということで不安になります。
そして結論付けられることは、
たいてい否定的な後ろ向きなものです。
それが私たちの内に溜まっている思いです。
 そのような私たちに、
イエス様は「何よりもまず神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:33)
とおっしゃいました。
私たちの持っている力に頼ろうとすれば、
思い悩むものしか出てきませんが、
イエス様に頼り、
イエス様の力によるところに、
思い悩みを倒せる秘訣があるのです。
 ですからイエス様は
「あなたがたの天の父は、求める者に良い物を下さるにちがいない。」
と言われ、
神に頼る者には本当に必要なものを与えてくださると
保証されています。
こうして私たちには自らの揺れる思いではなく、
神の思いで願い、
求める道が開かれてくるのです。

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