今年は4年に一度のうるう年で、
まもなくオリンピックが開催されようとしています。
選手たちは誰もが金メダルを目指して頑張りますが、
残念ながらほとんどの人はメダルに届かずに競技場を後にします。
 以前、オリンピックの中継で
「人生の金メダルを目指してほしい」という言葉を耳にしました。
人生の金メダル、
とても美しい表現ですが、
本当の意味で人生の金メダルとはどのようなものでしょうか。
それはこの私を生かすために自分の命を投げ打ってまで
愛してくださっている方がいることを知ることです。
 今、自分がここに存在し、
生きているのが当たり前に思うのが普通かもしれません。
しかし、私が本当に人として生きるために、
一切の弱さ、醜さ、罪深さを私の代わりに背負ってくださり、
私が死んでもそれで終わりではない、
永遠の命をくださる方がおられるのです。
それが私たちの救い主であるイエス・キリストです。
この方を知り、
この方の愛に応えていくことこそ、
私たちの人生で最も大切なことであり、
これこそ人生の金メダルです。
これは他者を倒して一位にならなければ
取れないものではありません。
私たちが心からこのメダルをくださいと願うならば、
誰でもいただけるものなのです。
 従うという時に様々な捕らえ方があるかもしれません。
キリストに従う時、
自分自身の罪に気づかされ、
悔い改めることが求められます。
罪などは自分には無縁だという感覚の中で、
まことの神様を知らずにいたこと、
これが私たちの根本の罪なのです。
そしてこの罪のために本来さばかれるはずであった私たちが、
イエス様の十字架によって
その罪がゆるされたことを信じることができます。
 この十字架は、
歴史的には今から千九百年以上も前に起こったものですが、
それは昔話なのではなく、
私たち一人一人のためなのです。
このイエス様を信じることがキリストに従うことです。
「わたしは、キリストと共に十字架につけられています。
生きているのは、
もはやわたしではありません。
キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19、20)
 「仏の顔も三度まで」と言われますが、
たとえ三回でも相手を赦すというのは難しいものです。
聖書が書かれた二千年前にも
三回まで赦せと言うことが教えられていたようでした。
もしかしたら、三回まで赦すというのは世の常識なのかもしれません。
 イエス様は、聖書の中で
「7を70倍するまで赦しなさい。」と言われています。
7を70倍ですから、
7×70で490回となります。
こんなに何回も赦した数を数えることはできませんので、
これは無限に赦しなさいということです。
 でもそのようなお人好しみたいなことは、
とても言っていられないと思われます。
ところが、私たちは既に無限に赦された者です。
それは神様の赦しです。
私たちは残念なことに毎日悪いことをしたり、
心に思ったりします。
これが「罪」と呼ばれるものです。
この罪はどんどん溜まり、
決してなくなるものではありません。
 この「罪」を神様は赦してくださいました。
罪のない御子イエス・キリストが神様と私たちの間に立って、
命をかけて私たちの罪を帳消しにしてくださったのです。
このことによって、私たちは罪赦された者となりました。
これが赦しの大きさであり、
私たちを生かすものとなっているのです。
 聖書は神がひとり子なるイエス・キリストによって
私たちの罪を赦されると約束しています。
そこで私たちはこの方を信じることによって
罪赦された者へと変えられます。
 けれども、それで終わりではありません。
私が赦されていることを確信したなら、
それを毎日の生活で生かしましょう。
私たちの回りにはなかなか相手を赦せないことがあります。
ずっと我慢していて、遂に爆発してしまい、
「堪忍袋の緒が切れた」なんてことになってしまいます。
しかし、イエス・キリストを信じる人は赦された喜びを知っています。
赦しの喜びがあるからこそ、
相手を心から赦すことが出来るのです。
 聖書には
「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。
主があなたがたを赦してくださったように、
あなたがたも同じようにしなさい。」(コロサイ3:13)
 神様が私たちを赦してくださった、
その喜びによって力を得て互いに愛し合う、
これが赦された者の歩みです。
イエス・キリストに従う時、
私たちは「赦し」のまことの意味を
しっかりとつかむことが出来るのです。

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