私たちは喜んだかと思えば悲しみ、
浮かれたかと思えば沈み込んでしまいます。
そして、とかく他人が幸せであると妬み、
失敗するとほっとしたり、どこかで喜んだりしがちです。
人の喜びを自分の喜びとすることが出来ない私、
人の悲しみに添えない私。
振り返りますと、何と私たちの心、思いは醜いのでしょうか。
それは自分の力ではどうすることも出来ないものです。
でも私の力では駄目であっても、
他の人が解決してくれることがあります。
たとえば、私の借金を自分で返すことが出来なくても、
保証人が代わりに払ってくれて帳消しになることがあります。
私の力ではそうすることも出来ない醜い思い、
それを罪といいます。私ではどうにも出来ないからこそ、
その罪を解決する方がおられます。
その方は自分の民を罪から救う方と言われます。
この自分の民こそ、私の醜さ、
心の貧しさで悩んでいる一人一人のことです。
それを自分ではどうにも出来ませんので、
この方、イエス・キリストのところに持っていく時、
私たちはこの方の民とされます。
そして、「あなたの罪は赦された」、「安心して行きなさい」
(ルカによる福音書7:48、50)と平安を与えられるのです。
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