今では私たちの普段使っている言葉で聖書を読むのが
当たり前になっていますが、
こうなるまでには先人たちの多くの労苦がありました。
 そもそも神様は、
旧約聖書はヘブライ語で、
新約聖書はギリシャ語で書かせ、
それが聖書となりました。
それが色々な国の言葉に翻訳され、
今では日本語でも立派な聖書が作られています。
ただ、もしも聖書の真の著者である神様が
何でも出来るお方であるならば、
ヘブライ語とギリシャ語だけでなく世界中の言葉で
一気に語ってくれたら良かったのにと思うこともあるかもしれません。
 けれども、そうはなさいませんでした。
初めに御自分のお考えを語られた後、
神様はそれを信じた者にそれぞれの言葉に聖書を翻訳させ、
その国の人々に伝えさせたのです。
その結果、私たちは普段使う言葉で神の言葉を受け、
救いの恵みにあずかることが出来るようになったのです。
 神様は主イエス・キリストの救いを
多くの人々の労苦を用いて私たちに届けてくださっています。
魔法のような形でパッと与えられたのではなく、
先に信じた方々を通して伝えられたのは、
それが私たちに伝えるのに良いと判断されたからでしょう。
人から人へと、
人の労力を用いて届けられた神の救いの恵みを感謝して
受けとめてまいりましょう。

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